復刻!バンダイのおもちゃ~luminodot ルミノドット等なつかしいBANDAIのおもちゃを紹介~

復刻!バンダイのおもちゃ~luminodot ルミノドット等なつかしいBANDAIのおもちゃを紹介~

当サイトは、バンダイで復刻した懐かしのおもちゃ達を集めたページです。
おもいっきり懐かしさに浸って下さい。

ひかりの魔法使い『ネオンブライト』

ネオンブライトかつてバンダイから発売された『ネオンブライト』というおもちゃをご存知ですか? 1969年に発売され、累計で30万台を販売した大ヒット玩具です。

このネオンブライトが復刻商品、インテリア玩具「luminodot(ルミノドット)」が2008年7月30日から販売されました。

「luminodot」は本体のメッシュパネルのドットにカラーピンを埋め込み、本体内部から光を照らし、ピンを鮮やかに輝かせるインテリア玩具です。“カラフルなピンで絵を描く楽しさ”、“完成したアートを光るインテリアとして飾る” といった複数の楽しみ方を合わせ持っています。縦にも横にも設置可能で、イルミネーションとしても活用できます。
 また、本体のピンを埋め込むパネルに紙のテンプレートを挟み込む構造の為、自分好みのデザインを入れ替えて、簡単に作成することができます。

luminodot ルミノドットとは?

 「luminodot」は、バンダイが1969年に発売をしていた「ネオ ンブライト」を現代版の商品として復刻したインテリア玩具です。ドット数が約3倍、そしてピンは9色から12色になりました。光源にLEDを採用したこと で、以前の電球による点灯では成し得なかった25種類のイルミネーションモードを搭載し、作った絵柄に合わせて多彩な点灯パターンを楽しむことができま す。よりスマートでスタイリッシュな“大人のインテリア”としての復刻です。

商品概要

商品名 luminodot(ルミノドット)
発売日 2008年7月30日発売開始
価格 12,400円(税込)
本体サイズ 縦390×横288×幅48.5(mm)
対象年齢 20代以上の男女
販売ルート 玩具専門店、大型雑貨店、大型書店、家電店、量販店、通信販売等
販売目標 2万個(2009年3月末まで)
セット内容 luminodot本体(本体・フレーム上下・メッシュパネル上下×2)
簡易スタンド×2、ピン抜き用ストロー×1、カラーピン12色(約1600本)
専用ACアダプター、テンプレート(絵柄入り)×8、
テンプレート(無地)×8
穴埋めシール、取扱説明書、モチーフ集

※「復刻」と明記していますが、現在では販売していないものもあります。詳しくはバンダイさんに直接お問合せください。

バンダイとは

株式会社バンダイ(英文社名:BANDAI Co., Ltd.)は、バンダイナムコグループの玩具・模型・既製服(アパレル)・生活用品等を手がけるメーカー。「変身」を商標登録している。

1950年代

創業者、山科直治の義兄久々津一夫が経営する繊維会社「萬代産業」の玩具製造小会社「萬代屋」として浅草にて創業。「萬代」(万代)とは武経七書の一つに数えられる兵法書「六韜」に登場する語の「萬代不易」(永久不変の意)に由来し、創業者の山科直治が「いつの世も人の心を満たす物を作り、絶えない企業の発展を願う」という意味だとしている。

当初は萬代産業の余りの布切れで作った人形を販売。その後、1950年初の自社製品のゴムまり「リズムボール」発売、「B26ナイトプレイン」が 50万個以上のヒットになり、これ以降、金属玩具を主力とするようになる。輸出が中心で国内には輸出の余りを販売しており、玩具業界では評判が悪かったが 国内向けの玩具開発をてがけるようになる。創業〜1960年代当時は、教育のバンダイと言われた。

1960年代

玩具メーカーとしては後発であり旧来の玩具業界から反発が強かった。そこで同じく後発のタカラとエポック社と組んで1961年に「玩具三社会」を設立。三社共同の玩具見本市を開催したり、新入社員の研修を合同で行うようになる。後にトミーとニチガンと学習研究社が加わり「玩具六社会」になる。

1960年代半ばより「クレイジーフォーム」「わんぱくフリッパー」「サンダーバード」などのヒットにより大手に成長する。しかし1968年に提唱した「無返品取引」が「バンダイは返品負担を問屋に押しつけるんだ!」と玩具流通業界の反発にあう。さらに「キャプテンスカーレット」の失敗により、「バンダイ倒産近し」という「黒い噂」が生まれる。それと共にバンダイ不買運動が起こる。

こうした騒動は「無返品取引」を撤回し、さらに「キャプテンスカーレット」の売上不振で倒産した今井科学(イマイ)の業務をバンダイが引き継ぐことで終息した。

1970年代

1960年代の失敗の反省から、キャラクター玩具は1971年発足の子会社ポピーに 任されるようになった。後にポピーがバンダイに合併されるまではバンダイ本社はほとんどキャラクター玩具を扱っていなかったため、現在のバンダイのキャラ クター玩具はポピーが基盤となっている。1970年代にポピーは急成長し、売上でバンダイ本社を抜くようになり、ポピー社員はバンダイ社員の羨望をうける ことになる。ポピー誕生のきっかけは、仮面ライダーを作る際、東映の渡邊亮徳と親友の山科誠・山科直治、東映さらにバンダイの関係者、映画監督の深作欣二との間でキャラクター玩具業界進出を志ざしたものである。

ポピーは東宝のゴジラシリーズ等の特撮怪獣映画、スーパー戦隊シリーズ・仮面ライダーシリーズ・メタルヒーローシリーズ等の東映の特撮・アニメ、ウルトラマンシリーズ等の円谷プロの 特撮をはじめとした、作品の世界観やキャラクターを使用した玩具・雑貨・既製服などを商品化する「キャラクターマーチャンダイジング」ビジネスを得意とし ている。ただし、これらの内、バンダイないしポピーが当初から玩具をてがけていたのは仮面ライダーとスーパー戦隊とメタルヒーローのみであった。

番組企画当初より登場キャラクターのデザイン等への参加および介入することでおよそ1年間の商品販売計画を策定しており、現在のキャラクター玩具ビジネスの基本ラインは、同社のスタイルを踏襲したものが多い。

1967年に経営破綻した模型メーカーのコグレのプラモデルの金型を買い取ったことから本社内に模型部を発足。前述の今井科学の静岡工場と金型と社員を買収して、1971年に子会社のバンダイ模型を設立。静岡県の清水工場を拠点にバンダイ模型が企画開発と生産を行い、本社の模型部が営業と販売を行う体制となる。

旧今井製品の再版を土台にスタートしたため「バンダイは倒産した会社の金型を使っている!」と業界内での評価は悪く、新製品の開発が急がれミリタリーや自動車の模型などを開発する。特に1/48機甲師団シリーズは手頃な価格と内部構造の再現で、1970年代前半は田宮模型の1/35ミリタリーミニチュアシリーズと並ぶ人気商品となる。また1970年代中頃の一時期、米国モノグラム社の販売代理店となり、同社の優れた1/48航空機キットを全国に低価格で供給した。同じ頃東映の大ヒット映画「トラック野郎」の版権を取得し、主人公の乗った11tトラック「一番星」をモデル化。当初得意の1/48スケールの販売だけだったが、後に全長55センチの超大型1/20スケールのものを発売、25年以上経った現在も販売を継続している。

1978年には、宇宙戦艦ヤマトと超合金ブームの人気を受け、ブルマァクの倒産により商品ライセンスを失った円谷プロダクションのウルトラシリーズ商品ライセンスを獲得。以後バンダイのウルトラシリーズは、大ヒットする。

1977年冬に発売した宇宙戦艦ヤマトでは1/500、1/700等キャラクター系キットに対する初のスケール表示の導入や、艦首を広げたディフォルメモデル、主役メカだけでなく脇役メカや悪役側メカもシリーズに加えるなどの商品展開のディスプレイキットが大ヒット。それまでゼンマイやモーター駆動による「玩具」色が強かったキャラクター系キットがディスプレイキット主体に転換される結果となった。その商品展開は機動戦士ガンダム関連キット(通称「ガンプラ」)に継承されて1980年代以降の爆発的ヒットにつながり、プラモデルの取扱はキャラクター系キットに特化され、数多くのヒット商品を産み出す。

1980年代

1980年に山科直治は35歳の長男山科誠に社長職を譲り会長職に退く。この時期、バンダイグループは玩具業界一に成長しており、山科直治は「勝負はついた」という趣旨の発言をしている。

山科誠は出版社の編集者を志望していたが、その志望が叶えられなかったことと前述の「黒い噂」の時期であり山科直治が「長男を入社させるくらいだか らバンダイは大丈夫なんだ」とアピールするためバンダイに入社。このため玩具事業には興味を持たず、文房具、アパレル、菓子、映像、音楽、パソコン、ア ミューズメントなど事業の多角化に進むことになる。これは表面上は少子化で玩具事業の成長が見込めないためとされたが、山科誠が玩具事業にいる古参社員を 煙たがったためともされている。

一方、1980年代の玩具業界は成長が頭打ちになり、限られたパイを巡って競争が激化、前述の「玩具六社会」は1984年に解散。その中でゲーム会社は急成長し任天堂やセガはバンダイの売上を追い抜く。

この流れに対応し1980年代中盤には独自のテレビゲーム機の販売を行うもファミリーコンピュータ(ファミコン)をはじめとする他社ハードのサードパーティーとしてソフトの製造・販売を手がけるようになる。「なぜ、ファミコンをするのか?」と言われたものの、ファミコン参入第1弾「キン肉マン マッスルタッグマッチ」のヒットで軌道に乗る。

1982年にガンプラの販売において「ヤミ再販」(メーカーが価格を決め、流通業者にそれを守らせること)と「抱き合わせ販売」 (ガンダム以外の商品も買わないとガンダムを売らない)を行い守らなかった場合には出荷停止を行ったことから独占禁止法違反にあたるとしてバンダイとポ ピーが公正取引委員会の立入検査を受ける。1983年に公正取引委員会のヤミ再販排除の勧告を受諾する。しかしもう一つの問題である「抱き合わせ販売」は 不問となる。

1983年に株式上場に向けバンダイ本社を存続会社としてグループ8社の合併を行う。

1986年に玩具メーカーとして初めて東証2部上場を果たす。これにより社員たちの中にあった「所詮、俺たちは下町のおもちゃメーカーじゃないか」という卑下する気持ちが払拭できたとある。

なお山科直治は第二次世界大戦で中国に出征しており、「戦時中の贖罪」として1985年に中国福建省に日中合弁会社・中国福萬(福建)玩具有限公司を設立。ビジネス上の狙いとしては、円高で日本国内での玩具製造のコストが上がったため、円高の影響がない中国で製造しようということである。これ以降、バンダイは海外生産の比率を上げていくことになり、現在では9割が海外生産である。

1989年の第39回創立記念式典で山科誠は「バンダイランド」の構想を語る。これはディズニーを手本としたレジャー施設の構想である。また多角化を一層押し進め、玩具会社から脱皮し、ディズニーのような総合エンタテインメント企業を目指すことも語られた。この「日本のディズニー」という目標は現在のバンダイでも継承されている。

1989年に提携していたコアランドテクノロジー株式会社を子会社化し、商号を株式会社「バンプレスト」に変更。杉浦幸昌が初代社長になった。ただしこの際に、人的に相当な流出入の変化があったため、バンプレストとコアランドテクノロジーの関係は法人格を引き継いだだけの関係にすぎないと捉える向きもある。

1990年代

海外では1993年にアメリカでパワーレンジャーが大ヒットをとばす。しかし前述のようにゲーム機で任天堂やセガに後れをとったと考えたバンダイは1994年に「プレイディア」、1996年に「ピピンアットマーク」を販売するも失敗。これに加え、同時期の玩具事業の不振、スーパーファミコン用ソフトの不振により1997年3月期の連結決算は上場以来初の赤字となる見通しになった。

こうした経営不振から1997年、セガとの間で「セガバンダイ」として合併を行うと発表された。これに関してセガの中山社長は「ピピンが成功していたら合併はなかったろう」としている。逆にセガとしてはセガが弱い低年齢向けのキャラクターで強みがあるバンダイとの合併はメリットがあった。また当時、セガはライバルのSCEにゲーム機戦争で負けつつあり、この合併は「敗者連合」とされた。

しかしたまごっちの大ヒットや、バンダイ社内からの反発も強く構想は破談。ただこの2要素が破談の「決定的要因ではない」としている。

セガの方が企業規模が大きい上に「社風が米国流でドライ」だったため、合理化の名の下にリストラ(解雇)の懸念があったのである。またバンダイ系列の問屋を統合して誕生したハピネットでは存続会社のトウショウ社員ばかりが優遇されていた「ハピネットの 悪夢」も強く想起され、合併の存続会社がセガである以上、リストラされなかったとしてもバンダイ社員は不遇になると思われた。さらに、かつてのバンダイで は考えられなかったが、一流上場企業の社員としての誇りが「セガバンダイ」の名前に強く反発した。また合併反対派が山科直治を取り込んだことも影響した。

この時の責任を取り、山科誠は社長職を辞任し会長に退くも後任の茂木隆は山科誠派で、「山科体制」は維持された。

セガとは合併破談後も業務提携が続けられしばらくの間、セガのゲーム機向けのソフトを優先的に開発することとなる。

ピピンの事業はその後も続けられたが1998年に撤退、同事業をてがけていたBDE(バンダイ・デジタル・エンタテインメント)は解散する。これに 伴った特別損失270億円を計上。このためたまごっちのヒットにより1998年3月期の連結決算は2882億円と過去最高だったにもかかわらず、単独決算 では赤字に転落する。

さらにたまごっちのブームの終息を見極められず、大量の在庫を抱えてしまい、1999年3月期では単独決算、連結決算ともに赤字になる。単独決算は2期連続の赤字である。この責任を取り、茂木隆は退職。山科誠も名誉会長職に退き、「山科体制」は崩壊した。

1999年に山科誠が推進した多角化を放棄し、赤字事業を清算するためバンダイ入社三年目の高須武男が社長に就任。高須が「泥をかぶった」形で事業の整理が始まる。彼の就任中に音楽、映像、海外販社などの事業が撤退ないし縮小することになる。玩具事業に不慣れな高須武男を山科直治時代からの「大番頭」である杉浦幸昌が会長職から支援した。

同年には携帯ゲーム機市場における任天堂の一強体制を打破すべく、携帯ゲーム機「ワンダースワン」を投入し、一定の成功を収める。

2000年代

2002年に長さ方向の寸法を短縮したNゲージサイズのショーティーモデルの塗装済みキットである「Bトレインショーティー」を発売。同様の鉄道模型に近い商品としてNゲージサイズの先頭車両をリアルに再現した食玩「スタートレイン」やレール幅がZゲージより小さい電池駆動のスケールモデル「ZZ TRAIN」も「Bトレインショーティー」と前後して発売されている。

2003年3月期の連結決算で営業利益と経常利益が過去最高を達成。本物のドラえもんを作る「リアル・ドリーム・ドラえもん・プロジェクト」を開始。一方、2000年に「ワンダースワン」の後継機として登場した「ワンダースワンカラー」は人気ソフトの不足や任天堂の「ゲームボーイアドバンス」による攻勢によってジリ貧に陥り、2003年に携帯ゲーム機のハード開発から事実上の撤退を表明している。

杉浦幸昌は定年65歳の内規に従い会長職を辞した。彼の引退を記念して以前社長を勤めたバンプレストの本社があった千葉県松戸市にあるビルを改装し、バンダイミュージアムとして開館。前述の「バンダイランド」の構想を持っていた同社としては不満の残るものだったものの、特撮ヒーロー関連の展示やガンダムの世界観に基づいた博物館とバーを運営するなどした。2006年8月31日に閉館。2007年4月28日、栃木県壬生町におもちゃのまちバンダイミュージアムとして装いも新たに開館。

また、文化事業にも熱心なところを見せ、バブル崩壊後、各社が活動を縮小する中で、世界有数のトイ・コレクションを藤田文化財団から譲り受け、軽井沢ワールドトイミュージアム(現在閉館)と栃木県壬生町の新バンダイミュージアムで公開している。同ミュージアムでは19世紀の蒸気機関模型や20世紀初頭の炭鉱模型が展示されている。また、バンダイミュージアムでは玩具だけでなく、エジソンの発明品が一堂に展示されている。

2004年4月、本社ビルを現在の場所へ移転する。また、新社屋のエレベーターは4基あり、それぞれバンダイが商品化しているキャラクターの声(プリモプエル、仮面ライダー1号、アンパンマン、機動戦士ガンダムのアムロ・レイ)がアナウンスするというユニークな作りになっている。

2005年9月、それまで業務提携などを行ってきたナムコと共同で持株会社を設立し経営統合。前述の高須武男の手腕により「経営は万全」とした上での統合である。持株会社・バンダイナムコホールディングスの子会社となった。この経営統合で誕生した総合アミューズメント(AM)事業グループバンダイナムコグループは、現在AM業界では任天堂、セガサミーグループに次ぐ第3位の事業規模を誇る。

「セガバンダイ」の時と違い、「バンダイナムコ」の名前に対する反発はほとんどなかった。

2006年3月1日、旧イマイ時代からプラモデルを生産していた静岡市清水区の静岡ワークスから静岡市葵区の新工場に移転し、「バンダイホビーセンター」として稼動を開始。開発・設計・金型・生産という、ガンプラに関わる営業とプロモーション以外の分野をまとめて担当し、開発から生産までを施設内に一括することで、生産効率と品質の向上が図られている。

2006年3月31日、バンダイナムコグループの事業再編の一環として、家庭用ビデオゲーム事業部門をナムコを母体としたゲーム事業部門「バンダイナムコゲームス」へ統合(旧・バンダイゲーム事業部門が手がけるゲームは、当面「バンダイ」ブランドで発売する)。バンダイは主にトイホビー事業専門の会社組織となった。

2006年6月には、ウィルコムのW-SIMを使い、子供向けPHS、「キッズケータイpapipo!」を発売した。1997年発売の「たまぴっち」以来のPHS端末の発売であり、これまで発売してきた「メルプチ」の発展版になる。

2008年4月1日、バンダイナムコゲームスがバンプレストを吸収合併しゲームソフト事業とアミューズメント機器事業を継承、プライズ事業(UFOキャッチャーなどの景品の開発・販売)は新会社バンプレストを設立し継承。

日本国外での展開

バンダイグループは日本国外において、現地の人気キャラクターを盛んに玩具化し、「新 キャプテン・スカーレット」や「バットマン」、「ベン10」などの玩具が現地の子会社を通じて発売されている。

1990年代にスーパー戦隊シリーズを日本国外向けにした作品である「マイティ・モーフィン・パワーレンジャー」の玩具をアメリカを始めとする日本国外で発売し、大成功を収めた。以後、パワーレンジャーシリーズの玩具を毎年、発売している。

2000年代以後はそれらに加えて、現地のキャラクターをアニメ化して展開している。アメリカではアメリカングリーティング社が開発したグリーティングカードのキャラクターである「ストロベリーショートケーキを、ヨーロッパではフランスの絵本を題材とした「ベルフラワーバニーズ」などをアニメ化している。

「マイティ・モーフィン・パワーレンジャー」の成功に合わせて、ガンダムシリーズなどの日本のキャラクターの玩具も日本国外で発売を行っている。